ふじたなおゆきの議〜日々是感動〜

親友を失った時 

僕には、小学校のころから馬鹿を一緒にしていた

関という親友がいる。

学校は一度も一緒になったことはないのだが、

小6のときの塾と、予備校が一緒だったなぁ。

大学時代は、それこそ誰よりもそいつといた。

恐らく、大学の友人よりもずっと一緒にいた。

「関」そして、「いぞう」、僕。

この3人は練馬区の大泉学園という都会でも、

田舎でもない中途半端な街で、たまたま巡り合う。

ロウティーンのとき、僕らは出会い。

夜中ジョギングいってくるとい言っては、

近くの都民農園という公園で、

ずっとずっと意味のない話をだべりながら、

肺に吸い込むこともできないタバコをものかげで吸っていた。

今考えると、そんな悪ぶっている自分が好きだったのだろう

なんともないそんな時間が楽しくて、

なかなか家に戻れなかったなぁ。

 

ところでね。

 

実は、3年前、

その大親友の関が突然いなくなっちゃったんだ。

この世からさ、いなくなっちゃったんだ。

 

成績が末端だった僕らも、それなりに努力して、

「いぞう」はANAのパイロットになり、

僕は経営者、そして、研究者となり、

「関」は親父のあとを継ぎ、医者になった。

それぞれの人生をそれぞれ歩みだし、それぞれの家庭を持ち、

そして、関は、奥さんが妊娠している最高に幸せなときだった。

 

さぁ、俺らこれからだねって時だった。

明るい未来でいっぱいの僕らに、突然の病魔が押し寄せる。

 

医者だった関は、急に手術中に、視力が弱まっていることに

気付いたんだ。おかしいって。

実は、そのときには、彼は脳に血栓ができていた。

視神経を圧迫していたんだろうね。

医者だった彼は、自分の症状がそれほど

急を要するものだじゃないと判断したんだろうね。

簡単な手術で完治するって思ったんだろうね。

自分の手術の日をずいぶんあとに設定し、少しの間仕事をつづけたんだ。

しかし、それが彼の最後の判断ミスにつながった。

手術を1週間後に控えたその日に、突然、脳で血管が破裂し、

帰らぬひとになったんだ。

 

あっけなく、やつはこの世をさるんだ。

 

もう、2度と、あいつのくだらないギャグがきけなくなったんだ。

あんなに元気だったじゃないか。

なんで、30代半ばなんていうところで、

あいつがなくならなきゃならないんだよ。

どうしようもない感情が僕に沸き上がったなぁ。

悔しい???違うなぁ。

悲しい???それも違う。

虚無、、、、適切じゃないけど、それに近いかなぁ。

 

唯一救われたのは、

関は、自分の子供が生まれた瞬間を味わうことはできていたんだ。

彼は、自分の長男がこの世に生を受けるとほぼ同時に、

自分の命を絶ったんだ。

もっと一緒にいたかったろうに。

自分の子供を自分の腕で抱いてあげたかったろうに。

子どもにギャグを教えてやりたかったろうに、、、、。

 

なぜ、神様は、彼に、そんな過酷な死を用意したのだろうか?

分からない。

 

何もしないと気が狂いそうな僕は、

仲間から、関あてのメッセージをもらい、

編集し、残された奥さんに、渡した。

 

僕らの想像を絶するほど落ち込んでいる20代の奥さんに、

彼の思い出でいっぱいの冊子をそのタイミングで渡すことが

本当にいいことなのか、分からなかった。

だけど、だけどさ、どうしても、奥さんと、子どもに、

僕らがどれだけ、旦那さんを好きだったのか伝えたかったんだ。

長男が大きくなったときに、お前の親父がどれだけ馬鹿野郎で、

どれだけみんなに愛されていたのかを知ってほしかったんだ。

だから、すぐ、いますぐ、みんなの気持ちを綴りたかったんだ。

気持ちを伝えたかった。

 

「関に逢いたい」

 

その冊子の最後は僕の彼のちょっとした思い出で閉じる。

僕はこれから、関を心に抱いて生きる。

ありがとう関。

ありがとう。

関と過ごしてきた当たり前の毎日が、どれだけ素晴らしい日々だったのかは、失ってはじめて分かった。

大切なひとを大切にすることが

どれだけ大切なことなのか、

僕は関を失うことではじめてよく分かった。

ねぇ、みんなの中でさ、日常に流されて、

大切なひとに、大切な思いを伝えそびれているひといませんか?

そんなひとにこの詩を送りたい。

 

アメリカのノーマ コーネット マレック という女性が、

わが子を亡くしたときに書いたものです。

 

::::

「最後だとわかっていたなら」

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

 

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