ふじたなおゆきの議〜日々是感動〜

親父への複雑な感情

僕は両親を尊敬している。

もちろん、嫌なところもあるが

全て包含しても

僕は両親を二人とも尊敬している

親父みたいに何歳になってもチャレンジ精神や向上心がある生き方に

憧れる

母ちゃんみたいに大きな器と愛で全てを包み込むような人間に

なりたいと思っている。

父ちゃんを表現するのは、とっても難しいんだ。

僕にとって親父という存在はひとことで言い表せない

複雑な存在だ。

 

ある部分では尊敬している部分もあり、

そしてある部分では憎しみの対象でもあり、

愛している部分もあり、

離れていたいという希望もある。

 

だれでもそうなのかな?

 

うちの親父は怖かった。

子どものころから怖くて怖くて仕方がなかった。

 

ちょっとしたことでおこりはじめ、

殴る、蹴るの暴行を働く。

関西弁でどなり散らす。

 

親父が怖くて怖くて仕方がなかった僕は、

車に乗るときも、

いつも、後ろで、寝た振りをしていた。

話しかけられるのが怖かったんだ。

ある雨の日だったと思う。

おそらく、うちは3兄弟

三男の僕が1年生くらいかなぁ。

長男が6年生、次男が4年生くらいだと思う。

大雨の中、車で移動していた。

父親は助手席の母を何かの理由で突然どなりだした。

恐ろしいほどの剣幕で、

どなり散らし、

そして、お腹を思いっきり殴り、

母は口から何かを吐くような感じで

苦しそうにお腹を抑えた。

そして、父は車のドアを開けて、

大雨の道に、母をひとり蹴り出した。

そして母を一人残し、車はその場を離れた。

 

僕ら兄弟3人は、

震えて、

後ろの席で

静かに寝た振りをしていた。

 

母ちゃんを助けることもできず、

その恐怖の時間を

兄弟3人で

寝た振りをすることにより

過ごしたんだ。

 

そのまま車は家につき、

僕は無理やり笑顔をつくり

親父に「おやすみなさい」と言って

布団に入った。

 

ぶるぶる震えながら、

怖い、怖い、怖い、って思いながら、

 

僕は布団に入った。

夜中、ビショビショに濡れた母が、

帰宅したとき、

僕はそれでも寝た振りをし続けた。

 

毎日、毎日、こんな調子だった。

何か、きっかけがあると、

僕は殴られ、投げ飛ばされ、

怒鳴りつけられ、震えていた。

血を出すと、殴ったりするのをやめてくれるのを知って、

僕は鼻血を自由に出す技を覚えた。

(これは、高校の時の野球部の夏合宿で、

わざと鼻血を出して

日陰で休むという作戦にも応用できた。(*^_^*))

土日になると父が家にいるので、

僕は土日なんてなければいいのにって思った。

毎日平日で、毎日学校があって、

夜中までずっと学校があれば家に帰らなくていいのに

っていつもいつも思っていた。

できることなら、ずっとずっと学校があって欲しい。

そう思った。

 

家にいるのが

怖くて怖くてしかたがなかったんだ。

 

親父はいつも仕事に車で行った。

帰り、車で帰ってくる。

100mくらい先から、僕はエンジン音だけで、

親父の車だってわかった。

その音を聞くと、

心臓の鼓動が高まり、

恐怖で、息苦しくなってきた。

僕は大急ぎでトイレに行って、

そして、大いそぎで布団に入り、

寝た振りをした。

 

咳をすると、

たるんでいると怒鳴りつけられ、

ぶっ飛ばされるので、

僕は小さい頃、

咳をしているのがばれないように、

部屋の座布団に顔をうずめて咳をしていた。

 

とにかく、

親父は理不尽だった。

全く論理的にも、倫理的にも、納得できるわけなく。

ただの恐ろしいひとだった。

 

僕は、そんな幼稚園、小学校、を過ごした。

 

この世で、最も理不尽な存在。

そして最も怖い人間、

それが親父だった。

 

それでも怒られるのがいやだから、

作り笑いを浮かべ、

もし起きていたら

帰宅した親父のほっぺたに「おかえり」のキスをしていたのを

思い出す。

 

:::::::::::::::

 

その父が、

70歳を超えた頃

心筋梗塞で集中治療室に入った。

なんとか一命は取り留めたが

その時、あの親父が弱まり、

いいお爺ちゃんになってるのに気づいた。

そして、そんな風に感じる中で、

少しづつだけど

僕はだんだん親父のことを理解するようになってきた。

今でも、相当理不尽な親父だが、

今は、少なくとも、

僕ら兄弟に

暴力を震うということはなくなった。

(怒鳴ることはある。)

 

結局、親父は、

気が小さかった部分も少しあったのかなと思う

自分のことを認めなかったり、

評価しなかったり、

あるいは、自分を否定したり、

間違いを正したりすることについては、

過剰なほど自分をガードしていた。

ときには、相手を怒鳴るという行為で、

自分を守っていたのだと思う。

 

なめられるのが怖かったのだろう。

 

気が小さく、

そしてさびしがり屋なのかもしれない。

 

大人になり、

そういう傾向のひと(オヤジほど極端ではないにしても)が

結構多いことに気づいた。

 

恐らく、不思議な劣等感が親父にはあったのだろう。

誰でもあるが、

親父の場合は、ちょっと極端に出ているのかなと思った。

 

そんな中で彼は、どなり、相手を力でねじふせ、

従わせることにより、自分の心を守っていたのかもしれない。

 

まわりにいた僕らには、甚だ迷惑な話だが、

人間として父がとれる唯一の自分を守る手段が、

ひとを罵倒し、暴力を震うことだったのかもしれない。

 

許されることではないと思うが、

理解できるように僕はなってきた。

親父なりの自分を守る行為であり

そして

親父なりの

もしかしたら愛情表現だったのかもしれない

 

一方で僕は親父を尊敬している部分がたくさんある。

憧れるところもある。

親父のすごさや、すばらしい部分も、

僕はたくさん知っている。

それも伝えていきたい。

 

そうそう。

その親父も、だいぶ弱まってきた。

いいお爺ちゃんになりつつある。

 

以前まだ大輝が小さい頃

大輝に誕生日のお祝カードを送ってきた。

 

あの機械音痴の親父が、パソコンを習っているらしい。

孫と連絡をとったり、

孫にカードを作ったりしたいんだろうね。

想像するだけで笑ってしまう。

きっと一本指で、

「ええっとぉ、、、」なんて言って文字を探しているんだろうなぁ。

課題でグリーティングカードが出たので、

生まれてはじめてグリーティングカードを作ったそうだ。

宛先はもちろん、大輝だ。

 

その文面はこうだった。

 

「大輝、お誕生日おめでとう!

おじいちゃんは今パソコンをならっています。

はじめて作ったグリーティング・カードです。

やさしい、いい子になってください。

じーじーより」

僕はその文面を見て

泣きそうになった。

 

そして、昔、親父にされたこと、

怖かった思い出、

すこしづつ溶け始めた気がした。

 

僕は世界で一番怖い親父と、

世界で一番やさしい母という両極端の両親を持った。

世界で1番不合理な親父と、

世界で一番物分かりのいい母という二人の親を持った。

 

だからこそ、今の僕がいるのだと思う。

この二人の親だからこそ、

僕の中には、人間として幅が出てきたのかもしれない。

 

当時は怖くて怖くて本当にいやだったけど、

今、振り返ると、ありがたいって思うんだ。

 

僕の人間力は、

この二人の相反する両親からもらったんだって思うんだ。

 

心から、ふたりに感謝している。

そして、親孝行したいなぁ。(*^_^*)

 

あと、何回、一緒に正月を過ごせるだろう

 

大切にしたい

そう思った

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