ふじたなおゆきの議〜日々是感動〜

松坂大輔 あの時があったから

松坂大輔がメジャーで活躍しているときに

僕がメモした内容

今読んでも熱くなる

いや、全てのプライドを捨てて

テスト入団で大活躍をされた後だから

ますます感動する

その当時のままの文章で伝えさせてもらいます

 

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「あの試合があったから、

今、僕はここにいる。」

 

松坂大輔が、

音楽番組で、EXILEと対談していた。

 

松坂大輔。

ご存知、世界No.1のチームのエース級のピッチャーだ。

日本No.1と言っても否定するひとは少ないだろう。

 

その彼が、EXILEにこんな質問を受けた。

 

「一番記憶に残っている試合や、シーンは何ですか?」

 

そう聞かれた松坂は答える。

 

その答えは、

今年のワールドシリーズ進出を決めた

最高の舞台での好投のシーンでもなければ、

日本が、世界一に輝いたあのときでもなく、

甲子園で、春夏連覇を達成したときのことでもなく、

彼が、あげたのは、

 

高校2年生の神奈川県予選の準決勝だった。

 

当時2年生の松坂大輔は、

3年生のおもいを一身に背負いその試合のマウンドにたつ。

しかし、横浜高校は、

リードするも、

逆転サヨナラ負けをする。

そのときのマウンドをまかされていたのが松坂大輔だ。

 

「あの試合があったから、

今、僕はここにいる。」

 

そう彼は、答えた。

 

「あの試合があったから、

あの試合の悔しさ、

3年生に対する申し訳なさ、

あの試合があったから、

次の年の春夏連覇がある。

あの試合があったからこそ、

レッドソックスでの優勝がある。

良かった試合でなく、

負けた試合にこそ、

自分の未来がある。」

 

そう松坂は言う。

 

もしあのとき、

簡単に勝利していた高校2年の松坂がいたら、

もしかしたら、

僕らは、日本が世界一になることを見ることができなかったかもしれない。

レッドソックスがワールドチャンピオンになることも

見ることができなかったかもしれない。

 

あの日、

県予選の準決勝という、

全国的にはあまり注目されない試合で、

高校2年生の男の子が、

悔しい負けを喫し、

うちひしがれ、

涙に濡れたとき、

世界のエースはこの世に生を受けたのかもしれない。

 

チャレンジする人間が、

苦難をのりこえたとき、

HEROとなり帰還する。

それが冒険の方程式だ。

 

さぁ、HEROになろうぜ。

 

ねぇ、もし、今、何かを抱えて、

歯ぎしりするような悔しさの中にあるひとがいたら言いたい。

もし、力が抜け、

前に進むことができなくなっているひとがいたら言いたい。

もし、やるべきことが分かっているのに、

本気になれない自分に

憤慨し、辛い思いをしているひとがいたらいいたい。

 

だから、あなたは成功できるんだ。

 

高校2年生の松坂大輔が経験した

最高のシーンを

今、体験しているんだから。

 

やってやろうぜ。

HEROになってやろうぜ。

 

松坂大輔の壁とは

「苦しむ壁みたいなものを求めてこっちに来た。」

松坂大輔は、そう言った。

ものすごいプレッシャーもあったろう。

普通のいい成績じゃ許されない、

極限の状態の中で、

彼は、明確に、そう言ったんだ。

 

::::::

年末、松坂大輔の特集番組をいくつかやっていた。

そのどれも感動的な、

熱くなるものだった。

10歳のころから夢見ていた

大リーグのマウンドへ、

若干26歳の男が、

立つ。

それも、

尋常ではない期待の中で、

マウンドへ立つんだ。

 

通常だったら1年目15勝なんて、

最高の成績だ。

しかし、松坂は、松坂であるがゆえに、

その成績では、評価されなかった。

特に後半戦は負けが込んでしまったがために、

ボストンファンからさえ罵声を浴びる。

 

期待が大きいだけに、

成績が落ちたときの、

世間の彼への仕打ちは辛辣だった。

 

使えない。

1億ドルの価値はない。

岡島に1億のうちの7000をあげろよ、松坂には価値はない。

 

いろいろな罵声を浴びせかけられる。

特に、ポストシーズンの

リーグファイナル(このシリーズに勝てば、

ワールドシリーズという日本シリーズのメジャー版

のようなものに出れるというシリーズ)

でのインディアンズとの対戦。

先に4勝した方が勝ちという、

シリーズで、1勝1敗で迎えた第3戦の先発が松坂だった。

彼は、5回ももたずに、打ちこまれ、

降板する。

レッドソックスの先発陣で

唯一、シーズンを通して

きっちりローテーションを守りとおしてきた松坂。

疲労もピークになっていた。

そんな松坂の敗戦に、

地元のファンからも容赦のない罵声が浴びせられた。

 

このシーズンで、

はじめて彼は、試合後のインタビューに出なかった。

いや、出れなかった。

試合後、全員が帰ったあとも、

たったひとり1時間以上、

ローカーの前で、

考え込んだ。

 

悔しさと、

反省と、

後悔と、

恥しさと、、、、、。

 

想像のできないストレスが、

26歳の青年の肩にのしかかったのだろう。

 

ロッカーの前で、

ただただうなだれ続けているだけの怪物が、

そのときいた。

 

そんな時期。

調子の出ない松坂に、

容赦のない罵声が浴びせられていたとき、

松坂はテレビのインタビューに応える。

 

ものすごい苦悩。

筆舌に尽くしがたいプレッシャー。

そんな壁があることを彼は、

認めたうえで、

こう言った。

 

「苦しむ壁みたいなものを求めてこっちに来た。」

 

松坂大輔は、そう言ったんだ。

ものすごいプレッシャーもあったろう。

普通のいい成績じゃ許されない、

極限の状態の中で、

彼は、明確に、そう言ったんだ。

 

彼は、壁を求めてアメリカに来た。

日本だったら、こんなストレスはないだろう。

ここまでプレッシャーを受けることはなかっただろう。

だけど、だからこそ、

彼は、ボストンの地へやってきたんだ。

 

自分の無限の可能性を信じ、

そして、自分の中にある最高のものを

つかみ取るために、

彼には、自ら、壁が必要だったんだ。

 

超一流の人間は、壁を求めるのか。

いや、

恐らく、壁があることによって、

自ら成長できることを

尋常じゃないほど好む男だから、

そんな壁から逃げるどころか、

欲する男だから、結果として、

松坂大輔は超一流の人間になったのだろう。

 

どんな悔しいことも、

どんなつらいできごとも、

必ず、僕らの糧になる。

自分の可能性、

そして、仲間の可能性を信じられたとき、

あらゆる経験は、

自分の伸びしろを出現させるための、

スイッチになるんだ。

 

それがどんなつらいことでも、

それがどんなに自分を痛めつけるものでも、

それこそが、

僕らを成長させてくれるんだ。

 

若干26歳の男にそんなことを学ばせてもらった。

 

そして、松坂は、その壁を乗り越える。

リーグファイナルは、3勝3敗にもつれ込み、

松坂に最後のチャンスが訪れる。

彼はきっちり勝つ。

その勢いは止まらず、

ワールドシリーズの第3戦でも、

彼は快投を見せ勝利する。

 

日本人投手として初のワールドシリーズでの勝利だ。

歴史に彼の名が刻まれた。

 

壁を求めて、アメリカに渡った男は、

栄冠という美酒を、

最後の最後につかみとった。

いや、これは最後ではない。

松坂大輔の第一歩なのだろう。

僕も彼に負けていられないなぁ。

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